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浦和のDNAを持った広瀬陸斗を恩師の池田コーチ、後輩の茂木力也が語る【浦レポ】

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浦和のDNAを持った広瀬陸斗を恩師の池田コーチ、後輩の茂木力也が語る(浦レポ)

 

横浜FMの『背番号18番』

 

横浜FMに『背番号18番』を背負いサイドで勇猛に闘う選手がいる。浦和ユース出身の広瀬陸斗選手だ。浦和ユース出身だがトップチームには昇格できず、2014年に水戸へ入団。その翌年には徳島へと移籍して徐々に頭角を現し、今シーズンから横浜FMへ移籍しついにJ1の舞台へと這い上がってきた。そして開幕戦からサイドバックを任され、見事にスタメンを物にした。

 

広瀬選手の父は、FKの名手でもあり、攻守において素晴らしいテクニックを持ち、長きに渡り浦和の中盤で攻守のバランスを取りながらゲームをコントロールしていた、あの広瀬治氏だ。広瀬氏は、固定背番号制度になってからは『背番号8番』を背負っていた。だが、その背番号を小野伸二選手へと譲り、引退するまでの2年間は『背番号19番』を付けていた。チームは違えども父と同じ『背番号18』に思い入れはあるはずだ。しかも、自分が生まれ育った浦和との対戦だ。父の現役時代を知る浦和を愛する人々が、たくさんいる中での試合だ。当然、気合いが入るだろう。

 

ユース時代の1年後輩にあたる茂木力也選手は、当時を振り返りながら「親しみやすい先輩で、何でも言えるし、イジることもできた。プレーは、技術はあって、クロスの精度も高い。でもユースの時は、FWをやっていた。3年生の最後にU-18日本代表でサイドバックにコンバートされてから、サイドバックになった。サイドでのポジショニングやビルドアップの時のポジショニングで良い位置で受ける。ある程度仕掛けられるし、クロスが良いイメージだ。J2でも対戦したが、サイドから精度の高いクロスも入れるし、運動量も多いイメージがある。

 

お父さんの広瀬さんは、僕が1年生のときのコーチだった。顔は似ていないけど、キックのうまさは似ている」と笑った。しかし、すぐに険しい表情になり「自分もJ1で主力として闘いたい。そろそろ試合に絡んでいきたい」と広瀬選手の活躍に刺激を受けていた。

 

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