長年レッズを追いかけ続けるサッカーライター島崎英純さん、ミスターレッズ福田正博さんが浦和レッズについて熱く提言を行う「浦研プラス」。
今回、浦研編集部の許可を頂き、有料記事の一部を転載させて頂きます。
宮崎で見た光景
2013年1月の宮崎。キャンプのトレーニングが始まる前、チームメイトが輪を成してボールリフティングに興じる中、手持ち無沙汰な男はひとりライン際に設置されたゴールへ歩み寄ってシュートを試みた。その距離およそ30メートル。ふわりとした緩やかな軌道を描いたボールが見事にネットへ収まると、彼は満足そうに微笑みを浮かべた。
個人的には、鹿島アントラーズ時代の興梠慎三が”目障り”だった。
Jリーグが正式にスタートした1993年から2000年初頭にかけてまで、浦和レッズにとっての鹿島は強大な壁であり続けた。ちなみに1993年から浦和が初めてリーグを制覇した2006年の前年2005年までの対鹿島戦の通算成績は6勝2分22敗(J1)で圧倒的な負け越し。ホーム、アウェーに関わらず、浦和は鹿島に打ちのめされ続け、獲得タイトルの数も大きく水を開けられていった。鹿島の選手たちには常勝の雰囲気が漂い、それはGK、DF、MF、FWの全ポジションに波及しているようにも感じた。かつての興梠も当然その一員で、周囲からはブラジル人FWのマルキーニョスや4歳下の大迫勇也(ブレーメン/ドイツ)らの影に隠れながらも狡猾な動き出しでゴールハントする抜け目のないFWとして認知されていたように思う。
ちなみに鹿島時代の興梠の対浦和戦成績は12試合3得点と、それほど高い数字は残していない。先日のベガルタ仙台戦で決勝点をマークして対仙台戦の戦績を14試合15ゴールとしたのとは対照的でもある。
しかし筆者は脳裏から離れない、ある強烈な光景を思い浮かべる。フォルカー・フィンケ監督体制1年目、2009シーズンのJリーグ最終節・浦和vs鹿島。ホーム・埼玉スタジアムで鹿島の興梠がダイビングヘッドで決勝点を決め、川崎フロンターレとのデッドヒートを制してリーグ3連覇を達成したゲーム。結局6位でフィニッシュして3年連続でリーグタイトルを逃した浦和に対し、オズワルド・オリヴェイラの鹿島は再び常勝への道を歩み始めていた。その象徴的な存在として、浦和のホームである埼玉スタジアムで鹿島を優勝に導いた興梠の神通力に、浦和側の記者だった筆者は畏怖の念を抱いていたのかもしれない。
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