コラム

『日本一のサポーターから保守的なサポーターになってしまった』石井和裕さん(横浜FMサポ)編【山中伊知郎の浦和レッズ観客数復活計画】

2018年、山中伊知郎さんが「どうしたら浦和レッズの観客数は復活するのか?」をテーマに色々なレッズサポーターにインタビューする企画がスタートします!

 

※過去記事
第1回『SNSを使ってユルい交流の場を作るのはどうでしょう?』コグレマサトさん編(ネタフル管理人)
第2回『みんなが戻ってくる場所が大事』今井俊博さん編(酒蔵力浦和本店 店長)
第3回『さりげないファンサービスをもっと大事にしてほしい』関口洋子さん編
第4回『観客数が減っている原因はサポーターへの規制、アイドルと夏フェスにある』UGさん編

 

第5回は石井和裕さんです。

 

石井和裕さん
1967年東京世田谷区出身。子供時代からサッカーチームに所属し、後にジェフ市原でプレーした江尻篤彦のチームと対戦し、背後から彼にファールを食らわせたことがある。84年元旦の天皇杯「ヤンマーvs日産」を観戦して以来、日産のサッカーにどハマりし、Jリーグスタートとともに、マリノスサポーターとして、ゴール裏の最前線に立つ。かつて、なでしこリーグ協賛担当者として女子サッカーのバックアップも手掛けた。

 

 

―――マリノスというより、もともとは日産のファンだったわけですね。
はい、金田喜稔さんの大ファンで、84年元旦の天皇杯に行ったのも、きっかけは金田さん見たさだったんです。ちょうどそれが釜本さんの最後の試合で、三菱・フジタ・ヤンマーから日産・読売に覇権が移る歴史的試合だったんですね。

もうそれから日産を追うようになりました。

ただ、80年代当時は、「サッカーの日本リーグ見に行くなんてダサい」ってバカにされ続けてて、Jリーグが始まった途端に一気にひっくり返って、あれは驚きでした。

しかし、日本リーグ時代の日産は天皇杯なんかもずっと勝ってたのに、マリノスになってから勝てなくなった。ディアスなんていい選手も入って、僕もすぐにファンになったんですが。水沼も好きだったな。

三ッ沢のホームゲームでは、最初、コールリーダーの横にいて、94年にマリノスサポが分裂した時に、片方のコールリーダーをやりました。

それで95年には後輩に譲ってバックの自由席に移り、そのまま日産スタジアムになって二階の自由席にいます。だから、ゴール裏にいたのはほんの2~3年です。

 

 

―――ライバルとして、当時のレッズサポをどう見ていましたか?
それは、「日本一のサポーター」と呼ばれていて、人数も明らかに多かったし、日本代表の応援なんかでも、レッズサポが中心にいましたから。憧れというか、尊敬の意識はありました。

あのころのレッズサポには「自分たちが日本サッカーのサポーター文化を作っていく」みたいな使命感があったんだと思います。独自のチャントを真っ先に開発したり、今は禁止になっているけど、紙吹雪での効果的な応援法を編み出したり、たぶんコレオグラフィーなんかを使ったのもレッズサポが先駆者だったはずです。

最先端をいってました。

 

 

―――今はどうですか?
ちょっとイメージは変わってますね。昔、創りあげたものを守っているというか、どこか保守的な感じがします。

たとえば、レッズサポの方と初めてお会いしたりしますよね。何年も前なら、「ワー、スゴいですね」と素直に反応されていた。それが最近だと、つい、「大変ですね。頑張ってください」と激励されているシーンが多い。

なぜかな?と考えていくと、やっぱりたとえばあの「JAPANESE ONLY事件」とかに行きついちゃう。ブランドが重くなりすぎて、自由がきかなくなってる。

今なら、フロンターレあたり見ると、「このクラブは攻めてるね」「行くと楽しそう」ってワクワク感あるでしょ。レッズは、あまりない。

試合前の派手なセレモニーもほぼなくて、ハーフタイムショーがないのも、クラブの一貫した姿勢として悪くはないのかもしれない。でも、それがタブーになって、活発な議論も生まれないとしたら、新しい流れは出てこない。

どこかで風穴をあけるべきじゃないでしょうか。

「サッカーだけ見せる」というのストロングスタイルも以前はよかったけど、今は行き詰ってるようにも見えます。「埼スタに来たことが楽しかった」と新しい観客に感じてもらわないと。

 

 

―――レッズサポと同様、クラブ側も保守的になってる?
保守的以上に、少々動きが鈍いのではないか、と心配になってきます。

とにかくクラブ側からの新たな発信が少ない。マリノスの方がいろいろやっていますよ。

「Hanako」とタイアップして、モデルの女のコのマリノス戦観戦記をグラビアで載せたりやってる。

レッズの情報で新規開拓っていったら、だいたい発信元がレッズサポからのものなんです。クラブ側は、もともといるサポーター向けの発信はやっていても、あんまり外にひろげようという雰囲気はない。

常連客だけ囲い込んでいればいい、とすら見える時がある。

そのために、どうせレッズサポは強力だから、わざわざ外部が今から参加してもしょうがない、と考えられてる向きもある。

Jリーグの最初は、レッズが弱くて、「自分が行って応援しなきゃ」というところからエネルギーが結集した面が強い。その「自分が」がなくなったら、厳しいですよ。

やや余談になりますが、Jリーグがスタートした90年代は、Jリーグのサポーター全体が「攻める」側にいたと思うんです。

自分たちのチームの応援をするの自体がスポーツ文化の発展に貢献しているし、地域のためにも役立っている実感があった。時によっては脱線してトラブルになったりはしても、全体としては社会を盛り上げる一翼を担っていた「幸せ」な状態でした。

それが年を経るごとに、災害のボランティアをやるとか、地域アイドルを育てていくとか、地域貢献にしても、多様化していきました。

その分、Jリーグサポは、逆に「攻められる」側になってしまったんじゃないか。特にレッズサポは規模も大きいし、もともと持っていた影響力も強かったから、攻撃の対象になりやすかった。自然、レッズサポをやめて、別のジャンルに変わってしまう人数も多くなります。

反動として、レッズサポ側も、新たな人たちを引き込むより、まず内部を固めようと内向きになってしまったのも否定できない。そこから「JAPANESE ONLY事件」も起きてしまったのかも。

 

―――レッズサポが内向きになっていったことには、ライバルサポとしてはどうお感じなんですか?
残念です。

このまま小さくまとまってしまうのは、日本のサッカーにとっても、他クラブのサポーターにとってもマイナスです。

昔のように、Jリーグサポの先頭に立って、新しいアイデアや価値観を作る役割をまた担って欲しい。とりあえず、その第一歩として、たとえば、先例にこだわらずにスタジアムでのエンターテイメントの是非をクラブも巻き込んで話し合う、とか、そういう柔軟なスタンスを持ってもらいたいです。

 

※過去記事
第1回『SNSを使ってユルい交流の場を作るのはどうでしょう?』コグレマサトさん編(ネタフル管理人)
第2回『みんなが戻ってくる場所が大事』今井俊博さん編(酒蔵力浦和本店 店長)
第3回『さりげないファンサービスをもっと大事にしてほしい』関口洋子さん編
第4回『観客数が減っている原因はサポーターへの規制、アイドルと夏フェスにある』UGさん編

 


山中伊知郎

 

昭和29年生まれ。93年のJリーグ開幕時から、シーズンチケットでレッズを見続けている。職業はライター。山中企画という会社を作って、自分が制作費を投下して本も出版している。今年も7月には、海外旅行も楽しみ、そこでいろんな雑貨も買って日本で売っておこずかいを稼ごうという『旅して稼ぐ 海外雑貨バイヤーズガイド』という本を責任編集。続いて、9月には、『横浜・野毛大道芝居の日々』という本を出した。ミナトヨコハマの中にあって「昭和の面影を残す街」野毛。そこで11回にわたって続いた大道芝居の歴史を振り返り、それに関わった多様な人たちも紹介する。11月には、いい「○」を描けば運勢がよくなる、という『しあわせの「○」』、GS(グループ・サウンズ)について触れた『GS第三世代50年後の逆襲』も出版。  自ら主催するお笑いライブ『ちょっと昭和なヤングたち』も継続中で、次は74回目。MCはイワイガワ。ゲストは松本ハウス、東京ペールワン、ポンちゃん一座など。11月28日(水) 午後6時半からお江戸上野広小路亭で。