ニュース

J2に行ったからこそ積んだ経験、大槻コーチの言葉と茂木力也が思う生命線は何か【浦レポ】

「浦レポ」の有料記事を一部紹介させていただきます。


J2に行ったからこそ積んだ経験、大槻コーチの言葉と茂木力也が思う生命線は何か(浦レポ)


(Report by 轡田哲朗)

 

埼スタのピッチに立つために戻ってきた

 

浦和レッズはこの中断期間に、J2モンテディオ山形に期限付き移籍していた茂木力也の復帰を発表した。2015年にユースチームから昇格した茂木は、翌年にJ2愛媛FCに移籍。1年を過ごした後は、山形に1年半の期限付き移籍となり、2年半を経て復帰したことになる。

 

彼は、登録期間の問題で出場する権利がなかった18日の名古屋グランパス戦をスタジアムで見ていた。偶然にも試合後のエレベーターで居合わせたのだが、こちらの顔を見ると少し笑顔になって会釈してくれた。ほぼ満員状態だったのでその場では話をしなかったが、優しげな風貌は変わらず、それでも上半身の厚みが増しているのは私服の上からでもすぐに分かった。

 

彼が15年にユースから昇格した年は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の指揮下で現在の主力選手たちの分厚い層に阻まれて出場できなかった。AFCチャンピオンズリーグで、ほぼ敗退が決まった後のゲームでベンチ入りしたことがあるが、出場は当時のJリーグU-22選抜によるJ3でのゲームのみだった。

 

だからこそ、今回の復帰にあたって「ベンチ入りしたことはあるけど、埼スタのピッチに立ちたい。(橋岡)大樹やオギ(荻原拓也)がこれだけ試合に出ていて、自分もまけていられないですよ。それが大きなモチベーションです」と話した。

 

昇格という明確な目標の中でプレーしたからこその経験

 

元より、ユース出身の選手が最終ラインなど守備的なポジションで昇格してすぐに活躍するのは難しい。茂木をユースで指導し、今はヘッドコーチの大槻毅さんも「ここ10年くらいを見ても、後ろの方はみんな外国人か(日本)代表クラスですからね。そこに割って入るのは簡単なことじゃないですよ」と話した。ユースの監督当時、例えば関根貴大が昇格した時に「ちょうどトップでサイドが不足しているタイミングで、それも彼にはチャンス」と話していたが、昇格した初年度は特に、選手のポテンシャルやその時点での能力だけでないチーム編成上の影響を受けるのは避けられない。そうした意味でも、茂木がすぐにチャンスを掴めずに期限付き移籍となったのは、自然な流れでもあった。

続き(全文)はコチラ


浦レポではこのほかにも下記の記事を掲載しております。

遠藤航のベルギー移籍にロシアワールドカップをともに戦った槙野は「尊重したい」と理解を示す。

遠藤航のベルギー完全移籍に菊池大介は長く一緒にプレーしてきたからこその思いを語る。