5/4のネット上にある浦和関連ネタまとめです。
福田喜びすぎて…やっちまった浦和/Jすべらない話(日刊スポーツ)
Jリーグ創設直後の草創期には、今では考えられない出来事が多かった。
開幕から1カ月も経たない93年6月9日、浦和レッズがやってしまった。鹿島アントラーズ戦の前半2分、エースFW福田がクラブ初の先制点を決めた。自身にとっても結婚後初ゴール。喜びが爆発した福田はベンチ前へダッシュし、チームメートもほぼ全員が祝福に駆けつけた。
その時だった。試合再開のホイッスルと同時に、鹿島イレブンは素早くリスタートした。浦和の選手らは懸命に自陣へ走るも、FW黒崎が同点弾を決めるまで、福田のゴールから1分にも満たなかった。負傷のため欠場したFW柱谷が言った「勝つことに慣れていない。サッカーを分かっていない」という言葉が、当時の状況を分かりやすく表している。
元浦和の那須大亮氏がユーチューバー転身「何かを発信し、今度は僕が支えに」(スポーツ報知)
浦和、神戸などで活躍し、昨季限りで現役引退した那須大亮氏(38)が「YouTube」で注目を集めている。約270本の動画を配信し、チャンネル登録者数は22万人。アテネ五輪で主将を務めた男の意外なキャリアに迫った。(取材・構成=田中 雄己)
―現役時代の18年7月にYouTubeを始めた。
「(若い頃は)SNSはやらない、選手として必要なものだけを取り入れる方だった。ただ、プロ生活を全うできたのは、周りの支えがあったから。だから、何かを発信し、今度は僕が支えになりたかった」
―Jリーガーとして初めてのユーチューバー転身。
「より多くの人に伝わりやすいよう、(ユーチューバーの)中田敦彦さんやカジサックさんの話し方を勉強している。現役時代はパッションだけで生きてきたので(笑い)」
日本サッカー温故知新◎平成18年「日本敗退の喪失感と浦和の初戴冠」(サッカーマガジンWeb)
J1リーグでは、前年王者ガンバ大阪を最終節で破った浦和レッズが初優勝を飾る。04年(平成16年)にJリーグカップ、05年(平成17年)に天皇杯を制し、リーグでも04年に2ndステージを制したほか、前年も最終節まで優勝を争い、わずか勝ち点1差でタイトルを逃していた浦和が、ついに悲願のリーグ制覇を成し遂げた。
リーグMVPに輝いたのは闘莉王。リーグ最少の28失点に貢献しつつ、7ゴールも挙げる活躍ぶりだった。
その浦和は、この年の天皇杯でも苦しい試合展開ながら粘り強く戦い抜きガンバ大阪を破って連覇を達成。リーグと二冠を手にした。
一方、Jリーグカップも連覇を達成するチームが現れた。ジェフユナイテッド千葉だ。オシムが日本代表監督就任のためにチームを離れることになったが、息子のアマル・オシムが指揮を執り、鹿島アントラーズを下してカップタイトルを獲得した。
日本サッカー温故知新◎平成19年「浦和がJクラブ初のアジア制覇!」(サッカーマガジン)
11月、日本代表監督を務めていたイビチャ・オシムが脳梗塞に倒れた。アジアカップでは4位になり、3連覇を逃すも、代表チームの『日本化』をキーワードに強化を進め、『オシム・ジャパン』への注目度も高かっただけに、日本サッカー界に激震が走った。
あとを継ぐ形で監督に就任したのは、1998年以来の再登板となる岡田武史氏だった。第二次岡田ジャパンが誕生し、日本は2010年南アフリカ・ワールドカップを目指すことになる。同時に女子代表は佐々木則夫監督が就任。この2人はのちに、大きな仕事を成し遂げることとなる。
この年、クラブレベルでも国際舞台で日本サッカー史に刻まれる出来事が起こった。浦和レッズがJクラブとして初めてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝を果たしたのだ。決勝はイランのセパハンと戦い、アウェーの初戦を1-1で引き分け、ホームの第2戦は2-0で勝利。埼玉スタジアムの大観衆を歓喜に酔いしれた。
アジアを制した浦和は日本で開催されたクラブワールドカップに出場。準々決勝で再びセパハンと対戦すると、3-1で勝利し、準決勝に進んだ。決勝進出をかけたミラン戦では0-1で敗れ、惜しくもファイナルには届かなかったが、エトワール・サヘル(チュニジア)との3位決定戦にPK戦の末に勝ち、世界3位の称号を手にした。
1 匿名の浦和サポ(IP:119.106.98.133 )
闘莉王もYouTube始めたけど面白いよ
ブラジルなのに浦和のユニ着てる人も出てくるし、闘莉王に噂のガソスタも出てくる
2020年05月04日 11:01