
浦和レッズ 背番号30 元日本代表FW 岡野雅行選手の愛称「野人」
犬よりも速く走る姿はまさに「野人」だから。
毎シーズンそのテクニックがあがっていってます(進化する野人説)。
いったいどこまで進化するのでしょう?
ちなみにレッズには野人組と言うものが存在する。
構成は闘莉王、平川、相馬、山田、都築、永井、伸二(たぶん)。
「野人」の命名者は土田現GKコーチ。
98年当時、2トップを組んだ大柴も岡野に似た髪型であったことで、「野人コンビ」と呼ばれた。
J2に落ちた浦和を1年でJ1に戻すため、降格直後に全選手に電話をかけ残留を呼びかけた。
この電話作戦は成功し、移籍に心揺れていた選手も残留を決意した。(その代表格は山田ともいわれている。)
ところがJ1に戻った2001年、スタメンを外れることが多かった岡野は、出場機会を求めて神戸からのオファーを受けレンタル移籍、2003年には完全移籍した。
岡野は神戸でも人気選手だったが、2004年に浦和が新監督となったギドの要請を受け、神戸に再獲得のオファーを出す。当時神戸のGMだった三浦兄の
「オレならいく」
のアドバイスを聞き、同年浦和に復帰した。レンタル以外で他クラブに出た選手で戻ったのは、岡野と小野のみ。
神戸時代の背番号は29と8、日本代表の時の背番号は14。
出戻る前の浦和在籍時の背番号は7だった。ちなみにMDCの最初のカードは岡野である。
‘97年フランスW杯アジア最終予選のイラン戦では、スライディングシュートにより記念すべきW杯出場を決めている。
浦和のみならず間違いなく、日本蹴球史上にその名を深く刻んだ、まさに「記憶に残る」タイプの選手。
2008年現在、最年長にしていじり役代表格であり、相馬の面白さを発掘したのも彼である。なおこの年でレッズを退団し、TSWペガサスを経て現在はガイナーレ鳥取に在籍中。
背番号1 元日本代表GK 愛称はギシ。熊谷高-中京大出身 代表正キーパーの座も近い 最近は都築に正GKの座を奪われている。

背番号6 元日本代表MF 藤枝東高校出身
多対1でも守りきってしまう右サイドでの強さ、上手さは世界にも通用する逸材
またトップ下でもその技術、推進力で優勝に大きく貢献し、一時は代表入りの噂もあった。
現在無回転シュートを練習中。完全に会得したあかつきには代表復帰も夢では無い。
愛称タリ~
驚異的な身体能力と怪我の少なさはレッズの中盤を支える原動力だ。
もはやホッペにぐるぐるはないが、「赤菱」のノブヒサは彼以外の何者でもない。
2004年からレッズの主将。2008年で歴代の主将の中では長い5年目を迎えた。高校卒業後レッズ入りし、即1軍、スタメン起用も入団年と超のつくエリートコースを歩んでいる。レッズ入団の決め手は「(当時)最下位なので即レギュラーになれそう」とのもくろみから。ちなみにレッズに入らなければグランパスに入団していたとのこと。 身体能力において申し分のない選手であることは、入団から今日まで歴代のレッズの監督が常にレギュラーで起用している事からも明らか。ただしメンタル面でムラッ気があるのか、その実力が常に発揮されることがないのが唯一の欠点だった。
普段の公式戦では50%の力しか出さず、相手チームのエースが来たときだけ70%の力を発揮。対戦相手がワールドクラスのときに(しかたなく)90%の力を出す・・・彼が100%本気を発揮するのは青いユニで敵も味方もワールドなときだけ・・・とか。
2007年のさいたまシティカップではC・ロナウドやギグスなどを相手にし、過去最高の92%の実力を発揮し、守備での1対1で圧倒する。普段もそうしてくれと思ったサポーターは少なくないが、彼らしいと思って納得。
2007年CWC準決勝ACミラン戦。途中出場ながら輝きを見せ、もう少し見たかったと思ったサポーターは少なくないが、最後の最後でシュートせずマイナス気味の横パスでタイムアップになったのも彼らしいと思って納得。
また日本代表への選出や欧州3大リーグクラブへの移籍についても消極的で、その理由について「かったるいから」と語ったという噂から「タリーさん」とネットでは呼ばれている。
山田のキャプテン任命はギドのクリーンヒットで2004年セカンド優勝、2005-2006天皇杯優勝の優勝杯はこの「タリー」キャプテンがニコヤカに掲げた。しかし彼がどのようなキャプテンシーを発揮したのかは謎である。 (`~´)タリ~
コラムニスト。関根勤率いる劇団「カンコンキンシアター」の一員。
「浦和レッズ絶対主義」「勝て!浦和レッズ」などの著書多数。
03年ナビスコ杯初制覇のときはわずか3週間で「浦和レッズ祝優勝」を上梓。いちサポーターとしてチケット争奪戦から歓喜の瞬間までをつづった。
元サンフレッチェ広島監督。元オランダ代表。2002年から2003年まで浦和レッズコーチ。 ハンス・オフトの幼なじみという事で(?) オフトと共に浦和入り。選手としての実績ではオフトをはるかに凌ぐヤンセンであったが、広島の監督時には結果を残せず、浦和のコーチ時代にも全く目立ったことはなかった。オフトの電撃辞任発表時には後任の監督はコーチのヤンセンが昇格か?との噂も一瞬流れたが、幼なじみ2人は仲良く浦和を去った。
本場ドイツのヘッドコーチ資格を有するサッカー評論家。
2002年ぐらいから現在に至るまでほぼ浦和の全試合について自身のHPで戦評をしてくれている。
またテレ玉のレッズ検証番組「レッズナビ」にもゲストパネラー陣の1人として時折出演している。
湯浅氏の文体は実際の彼の饒舌すぎる口調をそのまま文章にした感があり、 「・・・・・フムフム」とか「・・・と思う湯浅なのでありました」という定型部分もレッズサポーターにはおなじみ。
1994年 レッズ監督
2000年J2リーグ37節(のこり7試合)から総監督。
就任後「電話一本で」フラビオ・フィジカルコーチをブラジルから招聘。GKに西部洋平を起用。阿部敏之をボランチ、山田を右WBとする3バックとし、やっとの思いで土橋正樹のVゴールへとつながった。
1980年7月9日東京都出身。ポジションはミッドフィルダー。1999年に習志野高校より入団。その後、2002年途中まで浦和レッズに在籍。高校3年のときに柏の指定強化選手に。習志野高校時代にはU-16、U-18の日本代表にも選抜されている。