浦和レッズについて議論するページ

浦議辞書:あ行

 あ 

赤菱のイレブン

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ヤンキー漫画の大御所でありながらレッズサポーターである作者、古沢優先生が描くレッズ愛にあふれた4コマ漫画。


略歴

1995年 アールズラボンバにおいて連載スタート。弱いレッズ時代の清涼剤として人気を博す
1999年 アールズラボンバを引き継いだ月刊REDWINが休刊したため、惜しまれながら終了する。
2000年 浦和レッズについて議論するページにて衝撃の復活。
2002年 テレビ埼玉「REDS TV GGR」のオープニングアニメおよび4コマ漫画、1コーナーとして放送開始
2006年 「ケータイ版レッズプレス!!」で試合ごとに1コマであらわす赤菱1コマを連載。
2007年 「ケータイ版レッズプレス!!」にて動画版赤菱FLASHもスタートする。
2007年3月 世界130カ国に放送された「THE KING OF CLUBS」中の浦和レッズ紹介時に赤菱イラストが採用される
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登場人物

作者が選手を勝手にイメージしたもので、選手に了解を貰っていない
選手だけではなく、監督や社長、一般サポーターまで出てくるのが特徴である
*主な登場人物一覧

  • 内舘秀樹 「BAR19」でいつも飲んだくれて愚痴を言う
  • ギド・ブッフバルト 執拗に抗議する。負けず嫌い。現役時代のシューズは赤
  • 酒井友之 マイナスイオンを出す
  • 鈴木啓太 シュートが枠から大きくそれる
  • 土橋正樹 「どこでも正樹」いつも言葉遣いのおかしな敬語
  • 闘莉王 なぜか中国人キャラ
  • 永井雄一郎 シュートを外すと空を眺める
  • 長谷部誠 女性を意識するナルシスト
  • 広瀬治 こぶ茶を補給する
  • 細貝萌 イケ面
  • ポンテ ワシントンと対照的に小さく描写される
  • モリッチ 一般のレッズサポーターとして登場する。モチーフは作者知人。
  • 山田暢久 ほっぺにナルト状のクルクルが書かれる
  • ワシントン 大きくゴールからはみ出る

作品の種類

試合ネタ
  • 現場にいる先生ならではのテレビでは分からない描写なども見られる
  • 選手だけではなく、サポーターの描写も多い
選手ネタ
  • 試合ネタが無いときに多用される
  • 酒井選手の癒しネタ、鈴木啓太選手の宇宙開発ネタなど
あるあるサポー隊
  • 主人公はモリッチが登場
  • 4コマ漫画ではあるが2コマ目と4コマ目でオチがある
  • シュールなネタが多い

キャラクターの活躍

  • 浦和レッズオフィシャルグッズとして赤菱のキャラクター入りのタオル・下敷きが発売されたことがある
  • 浦和レッズオフィシャルスポンサーである阪急交通社の応援ツアーに行くと赤菱のキャラクター入りのバッチがもらえ
  • 浦和レッズオフィシャルスポンサーであるDHLのサイトに採用されたが、

似顔絵が真剣味に欠けるとの判断から、顔は写真を用いることになり下半身だけ採用される


発行書籍

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赤菱のイレブン」(エンターブレイン刊、2001年9月21日)

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レッズサポのバイブル・赤菱のイレブン」(双葉社刊、2006年12月2日)

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レッズサポのバイブル・赤菱のイレブンⅡ」(双葉社刊、2007年11月24日)

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赤菱のイレブン・オフィシャルイヤーブック 2007」(ゴマブックス刊、2008年2月1日)


赤星 貴文

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1986年5月27日生まれ。静岡県富士市出身

所属クラブ

  • 1999年 - 2001年 清水エスパルスジュニアユース
  • 2002年 - 2004年 藤枝東高校
  • 2005年 - 2007年 浦和レッドダイヤモンズ
  • 2008年 - 現在  水戸ホーリーホック(レンタル移籍中)

  * 2009年 - 浦和に復帰。背番号18

   U-15日本代表
   U-20日本代表

エピソード 

  • 浦和レッズに入団する藤枝東高校出身選手は3人。山田長谷部ともに活躍したため期待は高い。
  • 同期入団の細貝萌のブログにて赤星がかなりのゲーマーであることが判明した。
  • 特にウイニングイレブンが得意である。
  • 中学時代はサインを全くしてくれないことで有名だった。
  • 塀内夏子氏による漫画「Jドリーム」の浦和レッズに所属する主人公と同じ苗字。
  • ファールなどでゲームが中断したとき、誰よりも早く給水を取り、誰よりも早くグランドに戻る。天才で終わらない努力を惜しまない選手。

アジエル・デ・オリベイラ・アモリム

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オランダのRKCに移籍したゼリコ・ペトロビッチの後釜として2000年途中、浦和レッドダイヤモンズに入団。
この年のJ2最終戦で先制ゴールを挙げるなど、レッズのJ1昇格に貢献した。
2001年からはブラジル、クウェートの計3チームを渡り歩き、2006年から湘南ベルマーレでプレー。
実力とともにそのキャラクターもあってチームメイト、サポーターから愛され、絶対的存在感を持つ。


プレースタイル

浦和在籍当時はスリムな体、献身的な運動量、そして伸二と双璧を張るテクニックで浦和を残留に導いた。

現在でも、その丸っこい体型とは裏腹にスピードに長ける選手で、テクニックも高いレベルにある。
ボールを受けすばやく前を向けるため、ゲームメイクをしつつゴール前にも常に顔を出す選手である。
周囲を上手に使うタイプでもあり、スルーパスは得点につながることも多い。
2006年、2007年とベルマーレの攻撃の中心を担っている。


エピソード

* 写真を撮られる際はほぼ人差し指、中指、薬指を曲げ、親指、小指を伸ばすポーズをする。
* 2006年7月29日・コンサドーレ札幌戦(厚別)において1999年のJ2リーグ発足後通算5000点目を挙げた。


サッカー歴
  • 1997年 - 2000年途中 サントスFC(ブラジル)
  • 2000年9月 - 12月 浦和レッドダイヤモンズ(日本)
  • 2001年 ボタフォゴFC(ブラジル)
  • 2002年 - 2004年 サントスFC(ブラジル)
  • 2005年 アル・カーディシーヤ(クウェート)
  • 2006年 - 現 在 湘南ベルマーレ(日本)

 U-17 ブラジル代表経験有


ア・デモス

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1999年原博美の更迭後の浦和の監督に就任
J2降格のかかったシーズンの指揮を執ったが、結果は・・・
若手の育成を主に置き、盛田剛平を多様
最終5試合を「ファイヴ・ファイナルズ」(5つの決勝戦)と命名、死力を尽くしたが
福田正博最も悲しいVゴールへとつながった.

選手歴

  • ADOデン・ハーグ(オランダ)
  • RVCライスヴァイク(オランダ)
  • ヴィルヘルムス・フォーアフルフ(オランダ)
  • エクセルシオール(オランダ)

指導者暦

  • アヤックス・アムステルダム監督(オランダ)1982/83-1984/85
  • KVメヘレン監督(ベルギー)1985/86-1988/89
  • アンデルレヒト監督(ベルギー)1989/90-1991/92
  • PSVアイントホーフェン監督(オランダ)1993/94-1994/95
  • ヴェルダー・ブレーメン監督(ドイツ)1995/96
  • スタンダール・リエージュ監督(ベルギー)1997/98
  • スポルティング・デ・ヒホン監督(スペイン)1998/99
  • 浦和レッドダイヤモンズ監督(日本)1999
  • KVメケレン監督(ベルギー)2000/01-2002/03
  • アル・ヒラル監督(サウジアラビア)2002/03-2003/04
  • UAE代表監督 2004
  • フィテッセ監督(オランダ)2006

アドリアーノ

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2001シーズン、ブラジル体制と共に加入したMF。 ブラジル人らしいテクニックに長けた選手だったが、 運動量が少なくサポーターからの信頼をなかなか勝ち取れなかった。 小野伸二阿部敏之と左右の名手が揃っているにもかかわらずゴール前のFKを独り占めした上によく外していたため、皆をイラつかせた。 その模様は、赤菱のイレブンでもネタになった。

2001年1stステージ第5節のFC東京戦では、前半終了間際の44分に先制ゴールを決めたものの、 その後喜びのあまり看板を越えたため(当時はイエローカードの対象)に、 2枚目のイエローカードを貰い退場になった事件も有名。 結局この試合は、FC東京に後半だけで3点を奪われ、レッズは1-3で敗戦した。


アリソン

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本名はアリソン・ダ・シルバ・ネリ。U-17・U-20ブラジル代表に選ばれた経験がある。 2001年のシーズン途中からレッズに加入。札幌ドームで、直接叩き込んだ延長戦のFKは圧巻だった。 翌年、ヴィッセル神戸へ移籍。ガンバ大阪でもプレーした。


アルパイ

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2002日韓共催W杯トルコ代表DF その闘争心はまさに鬼神のごとく素晴らしい選手だったが、一度ピッチを出ると紳士的であった。

4ヶ月の間にで3度の退場という記録を持つ。 単にラフプレーが多いわけではなく、ヨーロッパでのプレイと同じ感覚で競り合ったりタックルしたりした際、 彼より体格の小さい日本人選手が吹っ飛んでしまうことがあり、一概にファウルとは言いにくい面もあった。 ただ、あまりの退場の多さに、他チームサポからはかなりの批判を受けた。

2005年6月11日のナビスコカップ新潟戦が浦和レッズでの最後の試合となった。(警告2枚で退場)

06年W杯予選スイス戦後シュトレラーを蹴った事件も有名。

浦議に「buraya」を流行らせた。

(参考)経緯とポイント、メディア報道内容について、森GMによるクラブ見解はこちら 『アルパイ・オザラン選手選手の契約解除とメディア報道について』 (聞き手:MDP編集スタッフ 清尾淳氏、05.07.02)

http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=1952


阿部敏之

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浦和出身の技巧派MF。帝京高校→筑波大学(中退)を経て鹿島に入団。 その後、浦和がJ2降格と同時期に鹿島から地元に戻ってきた。 浦和入団時の背番号は20(のち小野の移籍に伴い8番へ) J2時代の出場試合27試合8得点。 最終の鳥栖戦で土橋のVゴールにつながったフリーキックも阿部が蹴った。 浦和をJ1に戻した功労者である。 浦和への移籍は同じく鹿島の同僚で親友でもある室井が決めたため 「オレも」と決めたという。 2001年もリーグ戦23試合に出場しレギュラーであったが、2002年のオフト就任以後は起用が減ってしまい、 シーズン途中で電撃的に仙台へ完全移籍した。 仙台では03年まで在籍し33試合に出場したが翌04年には新潟、05年は古巣の鹿島に戻った。 鹿島での契約は1年で満了し更新されず、06年8月現在も移籍リストに阿部敏之の名前が載っている。


阿部勇樹

:uragidictionary:abe_y.jpg 2007年背番号22 ジェフ千葉より移籍 1998年8月5日、J1リーグファーストステージ第16節 ガンバ大阪戦(万博)で、16歳と333日でJリーグデビュー。 当時チームメイトであった山口智の記録を破り、J1最年少記録を打ち立てた。 それからジェフの主力として活躍し05、06年のナビスコ連覇にキャプテンとして貢献した。 しかし2003年に自分をキャプテンに任命し、大きく変えてくれた恩師イビチャ・オシム氏が日本代表監督に 就任したのを期に移籍を決意。3チームのオファーの中からACLに出場が決まっていた浦和に移籍を決める。 移籍金はJリーグ最高金額の4億円といわれている。


新井翔太

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2006年度 背番号:29 浦和レッズユース出身MF 元々はFW登録だったはずだが、試合では中盤の底やCB、サイドばかりやっていた。

2007年度 愛媛FCへ完全移籍

2007年11月30日、愛媛FCより契約満了にともない、来期の契約を結ばないことが発表された。本人もブログで引退を発表。


アレ浦和

アレ アレ アレ 浦和 アレ アレ アレ 浦和 アレ アレ アレ アレ アレ アレ アレ アレ アレ 浦和

オー オー オー オオー オー オー オー オオー オー オー オー オー オー オー オー オー オー オオー

浦和のロングチャントの1つ。他には「大脱走」「アレオー」「ゴールで俺たちを熱くさせろ」がある。(最初のロングチャントは「ウラワ カモンカモンカモン」。このチャントはしばらく使われていなかったが2007/4/29日、鹿島スタジアムで久々の復活。


池田伸康

「君は伸康のGOALを見たことあるか?」と問われ 「YES」と答えられるなら、当時を知るコアなサポーター。

キャラ的にも人気があっただけに憎めなかったが、たまには点を取ってくれと願ったサポーターも多い。

その一端は伸康の応援歌詞にも表れている。
福田正博引退試合で1日だけ再結成されたクレージーコールズの
この試合の第一声は ノブヤスコールだった。


池田太

武南高出身のDF。93と94年のレッズが最も苦戦していた時期のDF。97年に引退し、コーチに就任した。 池田太のJリーガー唯一の得点は93年セカンドステージ初戦の三ツ沢マリノス戦。1点ビハインドの状況を延長に持ち込む貴重な同点ヘッドだった。(最終的にはマリノスエバートンにVゴールを決められて敗戦)う


犬飼基昭

浦和高校 慶応大 三菱
欧州三菱自動車取締役社長などを歴任し、2002年に浦和レッドダイヤモンズ取締役社長に就任。 都築酒井アレックス等、代表級の選手を次々に獲得。またナビスコ優勝直後のオフトを切り、ギドを呼んだ。 卓越した指導力で、レッズの上昇期に大きな足跡を残した。
「速く 激しく けれんみなく」というコンセプトをうちたてたのも
サポの気持ちとマッチして大ヒットしたが 
後任の社長になってからは弁当の名前くらいにしか使われず
御本人も相当 不満であると思われる。
サポーターからはシャッチョさんと親しまれた。
現サッカー協会会長。次のチェアマンと目されていたが一足飛びにサッカー協会会長となった。


井原正巳

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アジアの壁と言われた伝説のディフェンダー。 98年フランスワールドカップに出場。Jリーグでは横浜、磐田、浦和を経て2002年に現役を引退した。 引退後はNHKのサッカー解説者として活躍し、指導者のライセンスも取得。 現在はU-22日本代表のコーチとして活躍中。

井原正巳の日本代表入りはオフト監督の前の横山監督時。(当時井原はまだ筑波大学在籍中)以降オフト、ファルカン、加茂、岡田、トルシエと6人の監督下の元で常に選出された。オフトジャパン時の背番号は7。このときは柱谷弟とセンターバックを組み、右に堀池、左に都並の4バックだった。柱谷弟の代表落ち以降、代表のキャプテンを長く務めた。クラブでも井原は木村和司の次のミスターマリノスでキャプテンだったが、2000年に契約外になり磐田へ移籍する。マリノスの井原放出の報に浦和も手を上げたらしいが、このときはレッズはJ2だったのでふられてしまい、翌年ようやく獲得した。 井原獲得を誰よりも喜んだのは同じドーハ組の福田で、さいしんのHP内にあった自身のコラムコーナーにその喜びを吐露していた。(井原獲得は当時の横山GMの引きか?横山氏は過去同じようにガンバ礒貝もレッズに呼んだ過去がある) 井原はレッズ入団時にはかつての身体的守備能力はかなり衰えており、特に足元のボールのさばきとクリアーキックの不安定さにはレッズサポは毎回肝を冷やした。しかし彼の真骨頂である「ヨミで守る」ディフェンスは当時新人だった坪井に伝授された。
国立競技場で行われた引退試合ではレッズ時代のデカユニが他を圧倒し花道を飾った。


岩崎由実

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初代「Go Go REDS!(現在GGR)」のアシスタント。
負けが多かった時代のアシスタントであり、笑顔を絶やさぬ彼女のファンは多かった。
現在「川原みなみ」として活躍中。

主な出演番組など

*NHK、BS-i Jリーグ中継、関連番組
*グリーンチャンネル ホースステーション
*テレビ東京 三菱ダイヤモンド・サッカー
*ニュースもぎたて朝一番
*激生!スポーツTODAY
*TXNニュース 夕方いちばん
*爆発ホンネ修羅バトル
*TBSテレビ 筋肉番付
*東海テレビ ドラマ「母の告白」「女優・杏子」
*韓国KBSテレビ ドラマ「彼女は最高」

外部リンク

*[http://homepage1.nifty.com/mnmk/ みなみんのおうち](公式サイト 本人作成)


岩瀬健

1975年7月8日生まれ。東京都出身。
1994年入団、1998年大宮アルディージャへ移籍。
2002年退団、現在、浦和レッズハートフルスクールコーチ。 http://homepage3.nifty.com/iwaseken/


We are Diamonds 

主に試合後、勝利、栄光を称える時に歌う。
時として、気合を入れるため試合開始前やハーフタイムで歌うこともある。
かつての勝てなかった時代には リードしてロスタイムを迎えると
相手の気持ちをなえさせるかのように 歌い始めた。

We are Diamonds, We are Diamonds
Yes, we love you boys in red
We stand beside you forever always
Yes, Red Diamonds you’re the best

We are Diamonds, We are Diamonds
All together hand in hand
We will keep on singing for you
Yes, Red Diamonds you’re the best

ラララーラー ラララーラー
ラーララーラー ラーララー
ララララーラー ララララーラー
Yes, Red Diamonds you’re the best

ラララーラー ラララーラー
ラーララーラー ラーララー
ララララーラー ララララーラー
※Yes, Red Diamonds you’re the best

※2回繰り返す

93年のJスタート時の10クラブはクラブの応援歌をCDにして同時に発売した。
仕掛け人は某広告代理店らしいが、他9クラブが全てオリジナルソングだったのに反し、
浦和レッズだけは既にメジャー曲だった「セーリング」の替え歌であった。
この英語歌詞の作詞者は当時の浦和レッズ広報担当の佐藤氏で、イメージしたのはリバプールのユルネバだったとのこと。
ユルネバにリスペクトしつつもこれをそのまま採用することはあえて避け、
他曲を選んで独自の詩をつけた佐藤氏のセンスの勝利か、
CD発売した10曲で2006年現在もスタジアムでサポーターに歌われているのはこのWe are Diamondsのみである。


ウーベ・バイン

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90年W杯にて西ドイツ優勝に貢献した影の功労者 であり、浦和レッズの立役者。

1980年代中盤から1990年代初頭のドイツを代表とする攻撃的MFの一人。
柔らかいボールタッチから相手DFの裏を付く鋭いスルーパスを繰り出す事が持ち味であった。

ドイツ時代

1978年、下部リーグのキッカーズ・オッフェンバッハでプロデビューを飾り
選手としてのキャリアをスタートさせるとドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルン、ハンブルガーSV、
アイントラハト・フランクフルト等の強豪クラブを渡り歩いた。

1988年に西ドイツ代表に選出されると1990年のワールドカップ・イタリア大会に出場
4試合出場1得点(1次リーグ第2戦のUAE戦で得点)の活躍で、西ドイツの3度目の世界制覇に貢献した。

その後、ドイツ統一によって東ドイツ代表の選手達が加わり選手層が厚くなった事から代表からは外れたが、
所属するフランクフルトにおける好パフォーマンスもあって1993年に再び代表に招集された。
しかし、監督のベルティ・フォクツの信頼を勝ち取る事は出来ず、
1994年のワールドカップ・アメリカ大会のメンバーからは落選した。

浦和レッズ時代

94年後期シーズンよりギド ブッフバルトと同時に浦和加入。
徐々にその力を発揮し95年の躍進の立役者となり、福田の得点王に大きく貢献する
特に、その黄金の左足のインサイドキックから放たれる絶妙かつ正確なスルーパスはことごとく、
当時のFW福田岡野の足元へと収まり、そのパスの綺麗な軌道がサポの心を掴んでいった。

浦和レッズとしてのFKの初ゴールもこのウーベ・バインの左足から生まれた
また、その抜群なポジショニングセンスからゴールも狙える相手からみたら厄介な相手だった

96年は怪我で出場回数は減ったものの、ひげを剃る意気込みを見せチームを優勝争いへと導いた
天皇杯3位で終わった彼の浦和レッズの選手人生
そんな彼や監督であったオジェック、コーチのフリントのためにサポーターが残って 国立でコールし続けたことは今でも伝説になっている

性格はとてもシャイでインタビューはすべてギド ブッフバルトに任せていたため
彼自身が現役時代に答えたインタビューは帰国直前のサポーターへのメッセージのみ
福田と最後は一緒にプレーしたかった。こんなに素晴らしいサポーターの前でプレーできて嬉しかった」と語った。

サポーターが彼に捧げたマフラーを回し歌われる彼のコールは浦和レッズコールとして今も歌い続けられている。

帰国後

1997年に浦和を退団しドイツに帰国した。
現役選手としてプレーする情熱を失わず、晩年は5部リーグでプレーした。
現役を退いた後は、2005年からはブンデスリーガ2部に昇格した古巣キッカーズ・オッフェンバッハのマネージャーとなっている。
一方で、自らサッカースクールを創設してサッカー選手育成に尽力している。

サッカー暦
  • 1978年-1984年 キッカーズ・オッフェンバッハ(西ドイツ)
  • 1984年-1987年 1.FCケルン(西ドイツ)
  • 1987年-1989年 ハンブルガーSV(西ドイツ)
  • 1989年-1994年 アイントラハト・フランクフルト(西ドイツ/ドイツ)
  • 1994年-1996年 浦和レッドダイヤモンズ(日本)
  • 1997年-1998年 VfBギーセン(ドイツ)

1988年-1993年 西ドイツ代表/ドイツ代表 17試合3得点
1994年-1996年 浦和レッズ 68試合 25得点


宇宙開発

ミドルシュート等で、ゴール枠に向かわず、ゴールの上方に飛んでいく、的外れなシュート。 まるで宇宙開発をするロケットのよう・・・ かつては大柴健二が 現在では鈴木啓太が担当している。


梅崎司

1987年2月23日生 長崎県諫早市出身 167cm 64kg O型 2009年度背番号7  大分トリニータ - グルノーブル - 大分トリニータ - 浦和レッズ


うまいうますぎる

埼玉銘菓 十万石饅頭のCMのキャッチコピー CMでは「うまい うますぎる 埼玉銘菓 十万石饅頭」と流れる。

最近はこのコピーを元に 「つよい つよすぎる うらわれっ頭」 と言うゲーフラを作成したサポーターも出現!


浦和

2001年5月以前は埼玉県の県庁所在都市。
大宮市、与野市と合併してさいたま市となり、今は桜区、浦和区、南区、緑区および中央区の一部になっている。
現在浦和の名称は、浦和区のほか、学校名、企業名などに残っている。

合併前から特に大宮市との間に対抗意識があり、現在でもさいたま市民を名乗るより、浦和の住人であるという意識を持つ者も多い。 もちろん、浦和レッズは多くの人の生活の中心となっており、例えば、旧浦和市内の職場や学校ならば、大抵サポーターのひとりやふたりは見つけることが出来るし、モニュメントやショップなど、身近にレッズを感じさせるものが至る所にある。 一般の家庭が試合当日に赤い旗を掲げていたり、試合終了の時間帯には、見知らぬ同士が挨拶の様に「今日は勝ちましたか?」と声を掛け合う風景など、草の根的にレッズが息づいている。

旧埼玉師範学校以来のサッカーの伝統があり、高校サッカーでは浦和高校・浦和西高校・浦和市立高校・浦和南高校が、全国制覇を成し遂げた。そのためこれらの学校の卒業生を中心に、サッカーに詳しいコアなファンも多く、静岡とともに二大サッカー王国と称された埼玉の、中心的な存在の街であった。 レッズ関係者では、阿部敏之内舘秀樹室井市衛堀之内聖田口禎則、永井良和、犬飼基昭、落合弘、名取篤が浦和出身
他にサッカー関係で、田島幸三、西野朗、反町康治、水沼貴史らが浦和出身

JRの駅では、浦和、北浦和、南浦和、東浦和、西浦和、武蔵浦和、中浦和とある。これに埼玉高速鉄道の浦和美園を加え、浦和の名前のつく駅が全部で8つ存在する。
うなぎが名物で名店も多い。意外な事にパスタの消費量が日本一。


浦和フットボール通信

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概要
  • 株式会社浦和フットボール通信社から発行されるフリーペーパー
  • 毎月1日に発行(ずれることもある)
  • 浦和レッズを愛する人たちへ送るサッカーの街と人を応援することを目的としている
  • 過去の浦和のサッカー話からイングランドのフットボール事情まで、浦和レッズ以外も含めた幅広い記事で構成される
入手方法
  • 埼玉の店舗などで無料配布されている。配布場所リンク
  • 試合の日、浦和美園駅で配布されることもある
リンク

浦和トリコロール

一般的にトリコロールというと(フランス語で三色)フランス国旗や「横浜床屋」の青赤白であるが,
浦和トリコロールとなれば当然 赤白黒の三色。
とくに2003ナビスコ杯決勝戦で国立競技場を3色に染めあげたパフォーマンスは圧巻であった。
(残念ながら当時放映されたフジTVではこの瞬間ジーコ代表監督のインタビューを流しており、視聴者には伝わらなかった)
http://www.saishin.co.jp/column/seio/279.html


URAWA POINT

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元URAWA BOYSのリーダが開いた浦和のフットボールショップ&パブ 
浦和レッズの試合の日には美園店も展開する

*住所 〒330-0062 埼玉県さいたま市浦和区仲町1-12-1 カタヤマビル1F 
*アクセス JR浦和駅(西口)/徒歩5分 
*地図 googleマップ

SHOP

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最近、改装を行い店内がやや広く明るくなった

*営業時間 日~木 13:00 ~ 22:00
*定休日 : 毎週月曜日※祝日除く
*電話 : 048-832-0062

PUB

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昔はダーツ台などがあったが、今はステージが常設されライブ等も開催されている 

*営業時間
日~木 18:00 ~ 26:00 ( 午前2:00 )
金・土 18:00 ~ 29:00( 午前5:00 )
*定休日 : 月曜日※祝日除く
*電話 : 048-832-0033

SHOP (浦和美園店)

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浦和レッズが埼玉スタジアムで試合を開催する日のみ開店する店舗
*営業日時はリンク先 を参照

外部リンク

*[http://www.urawapoint.com/](公式サイト)
*[http://fhp.jp/urawa-point/](携帯用サイト)
*[http://ameblo.jp/urawapoint14/](従業員によるBLOG)


内舘秀樹

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2006年度 背番号:19  田島中 - 浦和北高 - 仙台大 出身

MF、DFとどこでもできるユーティリティプレイヤー。 現在は主に後半途中で守備を固める時に出場することが多い。 守備だけに限らず時折見せる攻撃参加やスルーパスはなかなかのもの。すっと前へ出てのインターセプトも巧い。見た目は地味だが頼もしい存在。浦和入団時は左サイドバックの選手だったが、2002年オフト監督によりボランチでレギュラーに抜擢され、またキャプテンにも任ぜられ,レッズ史上初の優勝カップを手にすることとなった。 レッズナビにて吉沢康一氏は内舘を「侠義のプレーが出来る選手」と評した。

2007年に行われたマンチェスターU戦では後々サポーターの間で伝説となる先制のミドルを決めた。


2008年引退

エジムンド

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元セレソン。元ヴェルディ。 00年ヴェルディのJ2陥落回避の切り札として来日。 「野獣」「わがまま」の噂に反してヴェルディで期待通りに活躍しJ1残留に大きく貢献した。 02年まではそのままヴェルディにいたがその年のオフ、自ら浦和に売り込みに来てレッズに移籍。 03年オフトレッズの目玉となった。特に02年のオールスターでエメルソンとのコンビは素晴らしく、 これが自チームに実現するとサポーターも大いに期待した。
03年のナビスコ予選に出た後、起用についてオフトと衝突ということでサッサと退団した。
(因みに退団時に言ったセリフは「このチームでは勝てない」)
当然チーム内には大きな動揺が走ったが、オフトは動じず「我々には長谷部がいる」と語ったという。
オフトは動じなかったが、しかしレッドボルテージは大いにあてが外れて動じた。 03年の選手グッズでは既に「エジムンド 7」を大量に生産してしまっており、 これらが早々に「不良在庫」と化したからである。 03ナビスコ杯を制した森GMは「この喜びをまず誰に伝えたいですか」とインタビューをうけ、ひとこと「エジムンド・・」と。(↑退団時のセリフ参照)

多くのレッズサポにとって二度と聞きたくない名前。


エスクデロ

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父親のセルヒオ・エスクデロが浦和レッドダイヤモンズでプレイしていた関係で、3歳から8歳までを日本で過ごす。2000年には、再来日する。

2005年4月に16歳7ヶ月の若さでトップチームに昇格、同年5月21日のナビスコカップ・アルビレックス新潟戦(埼玉スタジアム)において16歳8ヶ月21日の若さでJリーグ公式戦デビューを果たした。これは東京ヴェルディ1969の森本貴幸の15歳10ヶ月6日に次ぐ若さである。

埼玉県の埼玉栄高校に在学していたが、プロ入りと同時に退学した。

2006年3月29日のナビスコ杯・FC東京戦(駒場)でプロ初ゴールを挙げた。 「ドリブルからの得点を見てほしい」

元々はアルゼンチンとスペインの2重国籍だが2007年6月11日に、日本国籍を取得した(なお、この時には父親のセルヒオ・エスクデロも同時に帰化している)。これにより、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会での日本代表としての活躍が期待される。

焼肉好きで、与野駅西口徒歩3分以内にあるお店に良く来るらしい。


エメルソン

マルシオ・エメルソン・パッソス、年齢不詳。
当初J2札幌に所属、駒場で浦和ゴールを切り裂き、浦和サポに鮮烈な印象を残す。こんな飛び道具みたいな選手は反則だ、と思っていたら川崎をへて浦和に移籍してきた。田中達也永井雄一郎らと組み、快速で相手DFを置き去りにするプレーは、時に「エメ頼み」と揶揄されながらも、浦和に数多くの勝利をもたらしたのである。得点後、ゴール裏の面々が両手をあげて、「エーメエーメ」とコールする姿は、まさに教祖のごとく、サポーターの心をがっちりつかんでいたといえよう。

その能力があまりに卓越していたため、パスを出さないとか、カードをもらうことが多いとか、あるいはシーズン頭に合流が遅れるなどの、多少のわがままには目をつぶってもらえた側面もある。ギドの就任後はその薫陶を受け、だいぶ改善していたのだが・・・・・。
2000年 J2得点王
2002年 ベストイレブン
2003年 JリーグMVP、ベストイレブン
2004年 得点王、ベストイレブン
2005年リーグ中断中に帰国したまま来日せず、いつものことさと思っているうちに、カタールのテレビで入団発表のインタビューを受ける姿が流れ、サポーターを唖然とさせた。
「エメル尊」「神」
「ゴールが見えたらシュートする」という彼のスタイルは確実に達也に受け継がれている。 日本人になるとの噂もあったが、今やカタールとブラジルの二重国籍?


おい!2万人

00年J2リーグ最終節鳥栖戦。ホーム駒場。入場直前、ウォーリアーが始まり、選手を鼓舞する、と思いきや コールリーダーがくるっと振り返りスタジアム全体にトラメガを向けた。
「おい!2万人の声はこんなもんじゃねぇだろ!」
仕切りなおしとなったウォーリアーは魂の叫びとなって選手・サポの心を揺さぶった。


大柴健二

初代、宇宙開発担当大臣。
新婚当初 「1ゴールにつき3万円」という嫁の実家からのオプション契約もあった。
岡野との快速2TOPは野犬コンビともよばれた。 退団後はセレッソ、横浜FCでもプレー。


大西友子

現在はREDSWAVEのパーソナリティー。受け持っている番組は、レッズの公式戦の前番組「Come on REDS!」を担当している。 昔は、GGR(ゴーゴーレッズ)のMC。水内猛と2年間勤めた後は、フリーとなり現在でも多方面で活躍中。 2002年から03年までのGGRのMC。歴代のMCはそれぞれ人気があったが、大西嬢はレッズが強くなって来た時期にも重なって、ひときわ高い人気があった。MDP編集長の清尾氏のサイトにおいてインタビューを受けるほどのレッズ者のお一人である。


大原サッカー場


大山俊輔

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背番号22 MF 浦和レッズユース出身
2007年2月1日〜2008年1月31日愛媛FCに期限付き移籍
ギドの初年度、二種登録選手でトップの試合に出場。将来の躍進を大いに期待させたのだが。。

2007年12月25日、湘南ベルマーレへの期限付き移籍が発表される。
中村GMは、「彼はいつかは浦和に戻さなくてはならない選手」とのことだが。


岡野雅行

2006年度 背番号:30 「野人」の項を参照


オジェック

1995年〜96年 レッズ監督 2007年〜08年 レッズの前監督


小野伸二

:uragidictionary:ono_s_1_.jpg 06年度 背番号:18
‘98 ‘02 ‘06 W杯日本代表
‘99 ワールドユース準優勝時の日本代表キャプテン
清水商-98年浦和-01年フェイエノールト(NED)-06年浦和(2007現在)
日本蹴球史上屈指の天才。フィールド上の時間と空間を意のままに操る、(ファンタジスタどころではない)マジシャン。
98年に浦和レッズに入団するやいなやチームの中心選手となり、W杯フランス大会の日本代表にも選出され、第3戦のジャマイカ戦に15分間の出場を果たした。 (この時、相手監督レネ・シモンエスに「なぜ彼は最初から出なかったんだ?」と言わしめた。)
00年J2リーグ、札幌(0-1)新潟(1-6)に連敗を喫した翌週、19節仙台戦。肉離れで6試合欠場していたキャプテン小野が復帰。GK田北とともにスキンヘッドであらわれサポを驚かせた。
オランダの名門フェイエノールトから2006年1月に浦和レッズに移籍した(復帰?)
愛犬の名前はショコラ。


大野勢太郎

早大 文化放送 フリーアナウンサー
「浦和REDSの真実」シリーズの著者。
FM NACK5 朝の番組のパーソナリティ。


 
uragidictionary/a.txt · 最終更新: 2009/08/28 12:37