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浦議ニュース2017 03/21  11:20

「勝利の喜びが忘れられなかった」(しば兄)前編【レッズサポーターの輪】

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Jリーグ初年度から浦和レッズを追いかける河合貴子さん。
その河合貴子さんによるレッズサポーターインタビューが今年、浦議でスタートします!
(第1回「滝さん編」)


第1回の滝さんからのご紹介を受けたしば兄(しばにい)は、ペーズリー柄のちょっとお洒落なニッカポッカ姿で現われた。大工さんのしば兄は、右耳に鉛筆を挟みニッカポッカというのが正装となっている。そのしば兄と滝さんとの出会いは、福永泰氏が浦和美園で始めたフットサルクリニックだった。和気あいあいとフットサルを楽しんでいる仲間であった。

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■駒場の並びでサポーターとの交流が濃くなっていった
河合:しば兄がフットサルを始めたきっかけはなんだったのですか?

しば兄:もともと『STOLZ』の仲間から誘われたから。『STOLZ』は、ドイツ語で誇りと言う意味の浦和のサポータークラブで、95年の2ndステージが始まる時に出来たんだ。サポータークラブは、個人が集まってゴール裏でみんなで応援しようよって出来たものだよ。

河合:今で言うクルヴァの1つですね。

しば兄:そうですね。初期は30人ぐらいで、実質、スタジアムに来るのは15人ぐらいだった。もともと遊びでボールを蹴っていたけど、本格的にやり出したのは浦和が出来てからだ。駒場のテント村で、夜暇だし『STOLZ』のみんなボール蹴っていたら、他のグループとも顔馴染みになってね。『あにやんず』、『エスペランサ』、『猫だまし』とかね。

河合:駒場のテント村は、懐かしいですね。あの当時、それぞれのグループが、開門前の駒場スタジアムの周りにテントを張って場所取りしていた。夜とか、みんなでトラップして遊んでいたね。朝になると、歯を磨いてスーツに着替えて身支度を調えて会社に行く人たちを見たことがある。しば兄もテント村にいたんですね。

しば兄:噂では、初めて駒場にテントを張った第1号は、『STOLZ』のメンバーだって。列に並んでいた人もいたけどね。駒場の近くのパチンコ店の景品でもらったテントを張ったと聞いた。駒場の悪しき伝統を作ったのは、『STOLZ』だった(笑)。個人、個人でスタジアムに行っていた時は、応援する場所なんてどこでも良い。でも、グループを作れば人数も増えて同じメンバーで応援したいから席を確保したいじゃん。当時は、『STOLZ』で旗を出していたから、前の方に行こうとか。そのために、2日ぐらい駒場でテント生活していた。それが、みんな場所を取りたいからドンドンと日にちが伸びていったんだ。

河合:最初のころは、ガムテープを貼って場所取りしていましたね。

しば兄:でも、ガムテープだとその場所にいないからって理由で剥がされてしまったんだよ。93年にJリーグが開幕した当時は、まだテント村はなかった。駒場が改装されるので会場が大宮サッカー場に移った時だったと思う。そのころからかな。スタジアムに入るに順番の列が出来始めたのは。待っている間、暇だからボール蹴って遊んでいたのが始まりだった。

■初めて見に行った試合でレッズ勝ち、ハマっていった。
河合:そもそも浦和を応援するきっかけは何だったんですか?

しば兄:生まれも育ちも埼玉県だったからね。でも、もともとは野球少年だった。俺が小学校の時に、地元の上尾高校が甲子園に出た。俺の母校の大宮工業は、俺が生まれる前だけど埼玉県で唯一甲子園で優勝していたんだ。でも、浦和学院が優勝したから唯一って言えなくなったけどね(笑)。我が家は、一家揃って「アンチ巨人」でパ・リーグ一家だった。もちろん、サッカーは観ていたし、好きだった。出来ることならマラドナーになりたかった。埼玉にプロサッカーチームが出来るから、応援し始めたんだ。最初に観た試合は、93年の1stステージの清水戦。93年シーズンの3勝したうちの1つだよ。友達がたまたまチケットを手に入れて、一緒に行こうよって誘われて、東のひな壇で観ていた。その友達は、もうスタジアムには来ていないけど、俺の方が浦和に嵌まっちゃった(笑)。93年は、なかなかチケットが手に入らなくって、チケットが取れたら行くって感じ。

河合:あの当時、チケットを取るのも大変だったでしょう?

しば兄:チケット取るに徹夜したりした。俺は、春日部のロビンソンか今はドンキホーテになっているけど蓮田の長崎屋で並んだ。凄くいっぱい並んでいた。なぜか、浦和のチケットの発売日が宝塚のチケットの発売日と一緒でね、春日部のロビンソンは、運が悪いと宝塚ファンのお姉様たちがいたんだよ。宝塚ファンのお姉様が3人ぐらい先頭にいて、チケット販売の10時になると「どこの席が良いかしら~」「ここが良いんじゃない?!」って、こっちは早く買いたいのにずっとやっていてさ。「早くしろよ!早くしろよ!」って思いながらイライラしていた。10時5分ぐらいには、もう浦和のチケットは完売になっていて徹夜しても買えずに「あ~宝塚にやられたよ」って帰ったよ。

河合:チケット争奪戦で徹夜までして、そんなに苦労して何で行きたいと思ったの?

しば兄:だって初めて観た試合で勝っちゃたから!!浦和の初勝利ってヴェルディ川崎戦でPK戦だったでしょう。90分で初めて勝った試合が、俺が初めて観た清水戦だよ。凄いお祭り騒ぎだった。まるで優勝したみたいだった。あの当時、浦和が勝てば10円コーラーを販売するというキャンペーンをマクドナルドがやっててさ~!マックに行ったよ。本当に、お祭りみたいで楽しかった。観客席にじっと座って観戦しているのではなく、ゴール裏でワァワァやっているのが楽しかったんだ。

河合:しば兄が、本格的にスタジアムに通いだしたのはいつからですか?

しば兄:93年の後半に結婚することになって、結婚準備とかでスタジアム行けなくなったんだ。94年に娘に産まれてから、94年の駒場スタジアムの改修中の大宮時代にチョコチョコ1人で行きだした。

河合:1人で?!奥さん、怒らなかった?

しば兄:う~ん、たぶん小言を言っていたと思うけど、聞く耳を持たなかった。大宮は、公園の駐車場に車が置けるから、仕事帰りにサッカー場に寄って観戦して家に帰るって感じだから1人だよ。1人だと、席なんてどこでも良いしゴール裏の空いているところで応援していた。93年のときは、あまり良く分からなかったけど周りに合わせて手拍子したり、コールしたりしていた。スタジアムに行き出したら、コールもチャントも覚えたし、ドンドン顔馴染みになっていった。チケットが手に入らないときは、大宮サッカー場の柵の隙間から観たりしていた。柵越しに観ていると「チケットあるよ」って声を掛けてくれた。

95年の前半、オジェック監督時代の大宮劇場。ヤス(福永泰氏)が途中から入って来て逆転勝ち試合とか、今でも覚えている。ヤスが折り返して、真ん中でヒロさん(広瀬治氏)がフリーだった。ヒロさんがシュート撃ってゴールに吸い込まれるまでが、ゴール裏で見ていてスローモーションのように見えた。ボーン、バサッサ、ボトッって音がした瞬間、みんなでウォー!ってなった。

河合:今の大きな埼玉スタジアムと違って、大宮サッカー場ってこぢんまりとしているスタジアムで一体感があったね。

しば兄:駒場の最初のゴール裏は芝生で、大宮は段々になっていて1列に3列ぐらいあって人が密集していたね。

「40億あれば埼スタに屋根が付けられると思う」(しば兄)後編

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