浦和レッズについて議論するページ[浦議]

レッズサポ集いの場! 総アクセス数= 総コメント数=

浦議ニュース2017 03/03  10:41

平川忠亮ー16年目の旅路【浦研プラスインタビュー&ストーリー】

  • 0
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

長年レッズを追いかけ続けるサッカーライター島崎英純さん、ミスターレッズ福田正博さんが浦和レッズについて熱く提言を行う「浦研プラス」

その中で、【浦研プラスインタビュー&ストーリー】平川忠亮ー16年目の旅路が公開されています。
今回、浦研編集部の許可を頂き、一部を転載させて頂きます。



【浦研プラスインタビュー&ストーリー】平川忠亮ー16年目の旅路(浦研プラス)

hirakawa-ph2-640x480.jpg
▼プレハブのクラブハウスで
初めて彼と出会った時のことをよく覚えている。まだクラブハウスがプレハブだった頃の大原グラウンドで、全体練習後に新卒同期の坪井慶介とボールを片付けていた。坊主頭の坪井はひと目で新人だと分かる態度だったが、彼は10年くらいチームに在籍しているかの落ち着きようで、『ツボ、早くボールよこせよ』と仲間を顎で使っていた。

当時の彼はどこか斜に構えていて、いわゆる不良のような佇まいを醸していた。しかし、そんな表向きの印象は誤解だったと知る。初めて言葉を交わし、その心根に触れた時、彼がどれだけ思慮深く、仲間思いで、情熱的な人物だったかが分かった。

筆者は当時、サッカー専門誌の浦和レッズ番記者を務めていた。そこで、すぐにでも彼のインタビューを掲載したいと思った。1979年生まれの、いわゆる『黄金世代』。清水商業高校では小野伸二(札幌)と同期で、自らはすぐにプロ入りできなかったが、筑波大への進学を経て、満を持して浦和へ加入した彼に興味を抱いた。しかしサッカー専門誌の企画会議では彼のインタビュー企画を真っ先に却下された。『バリューがない』、『新人の中でも地味過ぎる』、『そもそもレッズじゃあ、注目されない』......。

隔世の感だが、2002年当時の浦和は2000年のJ2から一年でJ1へ復帰したものの、その後は常に中位を彷徨う凡庸なクラブだった。そんなチームの大卒新人にインタビューをしても売上部数は伸びない。それが編集部内の一致した答えだった。それでも食い下がってプレゼンした結果、彼のインタビューのためにモノクロの1ページを与えられた。たったの1ページである。

大原グラウンドに建つプレハブ小屋に隣接したベンチで彼と話し、それを原稿にまとめた雑誌は、すぐに彼に見せられなかった。目立たない白黒の1ページに追いやられた誌面が申し訳なかったからだ。そんな彼が、雑誌発売の翌日に筆者を呼び止めて、こう言った。

「友だちから、『お前のことが載ってるぞ!』って雑誌を見せてくれたんです。俺のインタビュー、載せてくれたんですね。ありがとうございます! 友だちからこう言われたんです。『お前のことをよく分かってる人が話を聞いてくれたみたいだな』って。だから、友だちに言っておきました。『そうなんだよ。プロになって初めて声を掛けてもらった人なんだよ。誰よりも俺を知ってくれている人なんだよ』って」

サッカー記者になってわずか半年だったから、この選手の言葉が心から嬉しかった。有難かった。僅か1ページのインタビューは、かけがえのない財産になった。宝になった。誇りになった。

▼新たなるシーズンへの決意
2017年シーズンの幕開け。沖縄での2度のキャンプで、平川忠亮は淡々と、黙々と鍛錬に励んでいた。

「プロ生活も16年目で、このサイクルには慣れているからね。今は、このキャンプが楽しみでもある。身体がきついけど、長い時間を掛けてシーズンを戦える力を身につける工程は嫌いじゃないかな」

2017シーズンを戦い抜くためにフィジカルを強化するキャンプで、彼は一度も別メニュー調整をせず、常にチームの全体練習に参加した。20歳代の頃は負傷しがちで度々チームから離脱することが多かった。それだけに、今年の5月1日で38歳になる選手のキャンプでの逞しい振る舞いに、とても驚いた。

「まあ、足が張ったりはしたけども、その都度メディカルスタッフに治療してもらいながら、今のところは順調に過ごせているかな。そもそも今季はチームの選手数が限られているから、紅白戦やミニゲームなどもギリギリの中で練習している。選手がひとり、ふたり余っていれば『今日はゲームに参加しなくていい』という指示もあるかもしれないけど、今はゲームができる最低限の人数しかいないからね。その点では『休めないな』とは思うし、それが充実感と共に緊張感にも結びついているかな。天野さん(賢一コーチ)も練習に参加できるんだけど、やはり練習の質を求めるならば、すべての選手がプレーした方がいいからね」

力をセーブしているようには見えなかった。シャトルランなどの心肺機能強化のメニューでは平均ペースで駆け抜けたし、持久走も仲間に決して遅れを取らなかった。

平川は昨年、久しぶりに大きな負傷を負った。練習中のミニゲームで相手と交錯して右足首の重い捻挫と診断された。リハビリ期間は約2か月にも渡り、チームから離れることを余儀なくされた彼はしかし、この時に意識改革したという。

「去年は久しぶりに大きなケガをしたんだけど、それが良いポイントになった。30歳過ぎからはケガをしないようにという意識が出てきて、無理をしなくなっていた。20代の頃は力をセーブすることなんてしなかった。でも、何度もケガが続くと選手生命に関わるし、プレーの質も落ちていくだろうと思ったから、最近はケガをしないことに集中してきたけど、今は『ケガをするときはする。その中で、危険な状況でも飛び込んでいく。ギリギリのところでやっていかないと、選手の価値は低くなっていくのかな』と感じている」

2002年に筑波大学から浦和レッズに新卒で加入した。1979年生まれの代は『黄金世代』と称され、平川は静岡県の清水商業高校で小野伸二(札幌)、池端陽介(沖縄SV)らの同期とプレーしたが、仲間が高校卒業後にJリーグクラブからスカウトされてプロ入りしたのに対し、当時の彼は声が掛からずに大学へ進学。小野、高原直泰(清水東高→磐田)、稲本潤一(G大阪ユース→G大阪)、小笠原満男(大船渡高→鹿島)、遠藤保仁(鹿児島実業高→G大阪)らの同い年が華やかな舞台で活躍する中で、特に注目を浴びなかった彼は大学卒業後に浦和に拾われ、静かにプロの世界へ飛び込んだのだった。

「2002年に大学を卒業して浦和に加入した当初は、プロで3年やれればいいかなと思っていた。それくらいプロは厳しい世界だと思っていたから。俺の浦和での同期は10人いて、彼らは俺のライバルでもあった。その中で年々、同期の数が少なくなっていくであろうとも思っていた」

平川の大卒同期は三上卓哉(←駒澤大)、堀之内聖(←東京学芸大)、坪井慶介(←福岡大)、山根伸泉(←国士舘大)。他に高卒では長谷部誠(←藤枝東高/フランクフルト/ドイツ)、南祐三(←西武台高)、徳重健太(←国見高)、東海林彬(←庄和高)、小林陽介(←浦和ユース)がチームへ加わった。同期の中にはわずか1年でクラブとの契約が満了になる者もいて、彼は厳しい洗礼を目の当たりにしてきた。

「当時は(ハンス・)オフトがレッズの監督をしていて、新人でキャンプに参加できたのは俺とツボ(坪井慶介)のふたりだけだった。でも、それも紙一重だった。本当にワンチャンスで変わるんだよ。キャンプ前に練習試合が一回あって、新人は3本目と4本目、それとも4本目の1本だけだったかな? 駒場(浦和駒場スタジアム)でどこかのチームと試合をしたんです。俺はそこでオフトに評価されたんだと思う。でもツボはスタメン組で1、2本目に出ていたから、レッズに入る前から注目されていたんじゃないかな。その練習試合は、自分の中では良い感触があった。その試合で調子が悪かったらキャンプにも行けていなかっただろうから、本当に俺は運が良かった」

プロは何処で、どんなチャンスが訪れるか分からない。たった一回の機会をモノにできるかどうかで、人生の分かれ目を迎えることもある。

「当時の俺はどんな意識をしていたかな? とにかくチャレンジするしか無かったし、全力を出そうと思ったけど、それは皆も同じ気持ちだったと思う。頑張ろうと思っても、上手くいく保証なんてない。レッズに加入するくらいだから他の選手も当然実力はあっただろうし、タイミングさえ合えば評価を受けていたかもしれないね。それを運と呼ぶのは憚られるけど、プロサッカーの世界というのは、それだけシビアな場所なんだと思う」

現在は2017年。平川の同期の中には、すでに引退した選手もいる。

「俺の代は引退した選手のほうが多いんじゃないかな。三上、ホリ(堀之内)も現役を辞めた。他のクラブを見渡しても、Jリーグでプレーしている選手は少ない。ツボ(坪井/湘南)、羽生(直剛/千葉。筑波大で同期)、(小野)伸二、遠藤、小笠原、稲本、増川(隆洋/札幌)、曽ヶ端(準/鹿島)......。本当に数えるほどで、今もJリーグでプレーしているのは10数人くらいじゃないかな。でも、38歳という年齢を考えたら多い年代なのかもしれない」

38歳を迎える今、平川自身はどれだけ現役に固執しているのだろう。

「プロでやり続けたい......、うーん、どうなんだろう? 正直、そんなにしがみつく感じではない。毎年悔いのないように全力でプレーしていて、クラブから『これでおしまいですよ』と言われたら気持ち良く終われると思うけど......。他のクラブに行ってサッカーをやりたいと思うかな? 実際は言われてみないと分からない。『今年でアウトです』と言われて、『悔しいな、もうちょっとやりたいな』と思うのか、それともスッキリした気持ちになれるのか。想像の中では、わりとさっぱり次のことにチャレンジしたいかなと思っているけどね。これは奥さんにも言っていることだけど、自分がどんな反応を起こすかによって、また他のチームでチャレンジしたいとなれば、家族にも付いてきてもらうしかない。でも、その時の俺は必ず家族に相談する。その上で、奥さんは俺が決めたことがすべてだからと理解してくれると信じてる。だから、相談じゃなくて報告になるのかな。奥さんは俺の決断に対して、『やりたいなら、やりな。行きたいなら、行こうよ』と言ってくれる人だと思うから」

プロサッカー人生の終焉が近づいていることを理解している。年齢と共に衰えていく身体、チーム内での立場の変化によるモチベーションの維持。様々な要因が折り重なりながら、彼はあくまでも自分らしく、それでも前を向いて進もうとしている。

「去年...、いや、一昨年くらいからかな。だいぶ試合出場が減って、たぶん一昨年は10 試合くらいしか出ていない。去年に至ってはベンチ入りのメンバーからも外れることが多くなって、ホーム戦は埼スタのスタンドで観て、アウェーゲームは自宅のテレビで家族と一緒に仲間のプレーを観ていた」

プロサッカー選手になってから、自宅で浦和の試合を観戦したのは、ケガで戦線を離脱している時以外では初めての経験だった。ピッチに立つ権利すら与えられずに仲間の勇姿を見守る。チームが遠征中の際はベンチ外メンバーだけで大原グラウンドに集まりトレーニングをし、自主メニューにも励まねばならない。

「俺は今まで恵まれていたから、チームから外れる環境に置かれることが無かった。でも残っている選手として、トレーニングには前向きに取り組もうと思った。ここでどれだけ情熱を絶やさずにプレーし続けられるか。それだけを考えていたんだよね。その上で、厳しい境遇に立たされた選手が出場機会を得て、アウェーの試合で活躍しているのをテレビで観ると刺激をもらえたし、そこにやり甲斐も感じていた。だから、トシ(高木俊幸)の活躍は本当に嬉しかったよ。昨シーズンの最初の頃、アイツはメンバーに入れなくて、もがいていた。それがシーズン途中に抜擢されて良いプレーをして、チームに貢献できたわけでしょ。もう、自分のことのように嬉しかったよ。『トシ、やったな!』って。その後も自分自身はメンバーに入れない試合が続いたけど、どこかでもう一回チャンスが来ると思いながら練習に取り組んでいた。実際に、それはあったしね。その時はサッカーをプレーし続けていて良かったなって。試合で勝つことでタイトルにも絡めたし、うん。だからこそ、引退するまで気力を保ち続ける姿勢は変わらないかな」

続き(全文)はコチラ

以下、続きの内容になります。
・2016年末、クラブとの契約交渉の場で抱いた気持ち
・平川忠亮が思う、ミハイロ・ペトロヴィッチ体制のチーム
・2016シーズンJリーグ1stステージ、3連敗後のFC東京戦、0?2で前半終了後のロッカールームで...。
・『3年目』のラストイヤー、レッズへの想いと夢


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

浦議ニュース 人気記事ランキング

浦議ニュース コメントランキング

浦議ニュース 最新コメント

サッカー注目記事ランキング

    おすすめサッカー記事

過去記事

2015
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2014
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2013
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2012
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2011
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2010
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2009
08/ 09/ 10/ 11/ 12/