浦和レッズについて議論するページ[浦議]

レッズサポ集いの場! 総アクセス数= 総コメント数=

浦議ニュース2010 09/30  17:30

【浦和フットボールメルマガ】Vol.4 レッズ誕生秘話

  • 0
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

真に浦和と浦和のフットボールを愛する声を集める読者参加型メールマガジン
「浦和フットボールメルマガ」Vol.4が本日配信された。

浦和フットボールメルマガ無料ダイジェスト版申込みは→コチラ
(モバイルにも対応)

VIPインタビューでは森孝慈さんのインタビュー完全版。レッズ誕生秘話と浦和の未来について語っている。

UF:7年もの歳月を要しましたが、その後の日本サッカーはプロ化に向けての大きな流れに傾きます。そしていよいよJリーグ開幕前夜になって、森さんの三菱と私たちのURAWAが運命的な出会いが訪れる。(注:当時の森氏は三菱重工で社業に専念していたが、日本リーグ時代のチームメイトで後にクラブの初代社長となる清水泰男氏の要請を受け、三菱のJリーグ参加の推進役に就任していた)

森:そうだったね。重工から自工へとサッカー部の拠点が移る過程で、三菱の本拠はずっと丸の内。活動は東京ベースで固まっており、練習グラウンドも調布。社内的には「東京フランチャイズで」という要請が強かった。だからJに向けての準備としては理想のホームは国立競技場。それがだめなら駒沢競技場、江戸川陸上競技場あたりを中心に考えていました。でも、現実的には難しかった。スタンドの収容能力など参加条件に合わない部分が多く、先方から断られる情況が続いていました。

UF:旧浦和市の地元としても、三菱が来るとは想像もしていなかった......。 森:浦和は本田(本田技研)の誘致で決まり、という線が当時の常識だったものね。工場も狭山にあったし、チームの体制としてもかなり固まっていた。

三菱とURAWAの出会いがなければ、我らが浦和レッズは存在しなかった。
レッズ創成までのプロセスで、三菱サイドのかけがえのないキーマンを務めた森孝慈氏。さまざま
な障壁を乗り越え、J史上初のアジア王者にまで登りつめた人気クラブの誕生に賭けた氏の履歴を振り返っている。

浦和フットボールメルマガVol.4 MENU
・週刊フットボールトークVol.4......「新潟戦感想、URAWAのサッカーとは?」
・VIPインタビュー..................森孝慈ロングインタビュー完全版最終回
・埼玉・浦和の未来を追って.........浦和 別所サッカースポーツ少年団 
・埼玉サッカー情報.....................第19回県ユース(U-15)選手権大会ほか
・編集後記.................................第4号は如何でしたか? 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

サッカー注目記事ランキング

    おすすめサッカー記事

過去記事

2017
07/ 08/ 09/

2017
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/
2016
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2015
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2014
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2013
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2012
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2011
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2010
01/ 02/ 03/ 04/ 05/ 06/ 07/ 08/ 09/ 10/ 11/ 12/
2009
08/ 09/ 10/ 11/ 12/