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▼啓太が銘を打ったとおりの同窓会」
2015年シーズンで現役を引退していた浦和レッズ一筋で過ごした鈴木啓太の引退試合は、まさに彼が銘打ったように"同窓会"といった空気に包まれた。

懐かしい気持ちになったのは、試合前からだった。GKたちがウォーミングアップに出てきた時から、都築龍太、山岸範宏、そして土田尚史コーチ。レッズのゴールを守ってきた選手たちのチャントが復活すれば、フィールドプレーヤーに対しても映像に合わせるようにチャントが歌われ、ハーフタイムには残念ながら出場が叶わなかったエメルソンや田中達也、長谷部誠のものまで復活していた。今なお、浦和以外のチームで現役を続けている選手たちのものまで埼スタに響き渡るのは、まさに同窓会だったからだろう。

彼ほど苗字ではなく名前で呼ばれることが定着していた選手も、なかなかいないのではないかと思う。少なくとも私の周りでは「浦和の鈴木が・・・」と話すと、「鈴木? ああ、啓太ね」というところから会話が始まるような存在だった。少なからず、そういう方もいるのではないだろうか。

▼最後まで啓太らしく
前半に青のユニフォームを身にまとい、10本もシュートを放って2点を取った啓太だったが、私としては後半の啓太を見られたのがすごく嬉しく、懐かしい気持ちになった。メンバーもさることながら、「このチームは、こうやってJリーグやアジアを勝ったんだったな」という思い出が蘇ったような時間だったからだ。

何しろ、主役がスペースをカバーしてセカンドボールを拾って、シンプルに前線へパスを回しているのだから。周りに「啓太さん、どうぞ行ってきてください」と扱われるのではなく、「啓太がいるからノビノビやれるよね」とばかりに、ワシントンやロブソン・ポンテ、永井雄一郎、小野伸二、マリッチ、田中マルクス闘莉王という面々が楽しそうに攻撃していく。小野は「やっている時に、啓太のことを考えなきゃいけないんだけど、忘れていた一瞬があって」と笑っていた。

後半の得点者は、ワシントンとポンテが2点ずつ。スコアボードにカタカナが並ぶところまで当時の浦和を再現していたけれども、啓太のシュートはわずかに1本だった。そんな図らずも当時のような役回りを演じた啓太は、後半のチームについて「懐かしさも感じましたし、こんな時間が長く続けばいいな」と感じたのだと話した。そして「僕は今日、この会を作ったというオーガナイザーでいいんです」とも。悪く言ってしまえば主役っぽく扱われなかった後半も、彼にとっては幸せな時間だったのだという。

それでも、これこそが啓太だったんだなという思いになった。いつも「チームが勝てば良いんです」と言い続け、周りを生かし、それでなお「啓太がいないとまとまらない」と言われる存在。この日ではなく、2015年の最終戦で「僕の心には、浦和以上に愛せるチームがありません。だから僕はプロサッカー選手として、浦和の男で始まり、浦和の男で終わります」と話した啓太は、最後の最後まで、自分が主役の引退試合なのにも関わらず、"浦和の啓太"を見せてくれた。

▼いつか浦和に啓太が戻ってくる日へ
それと同時に、あの時のチームの何が多くの人たちを魅了していたのかを思い出させるものにもなったのではないだろうか。例えば、お祭り試合での演技はあるにしても、闘莉王が平川忠亮に「もっといいクロス上げろよ」とばかりに怒り、平川は裏のスペースに走った時に闘莉王がパスを出さないと「なんだよ」とばかりに両手を広げる。平川は「なかなかいいクロスが上がらなくても申し訳なかったけど、遊び半分でもそういう言い合える仲というのも非常にいいなと思いますよね」と話していたが、そういった個性のぶつかり合いにもちょっとしたノスタルジーを感じた。

ワシントンにしても、ポンテにしても、パスが来なければ味方に対して滅茶苦茶に怒るくせに、ゴール前にフリーの味方選手がいても平気でシュートを打つ。決まらなければ、パスをもらえなかった選手は相手がブラジル人だからなど関係なしに怒る。フリーキックになればキッカーの取り合いになるし、ドリブルを始めれば止まらないような選手たちがいる。気の抜けたディフェンスをする選手がいれば、胸ぐらをつかんで怒るGKがいる。一種の狂気をはらんだような集団でありながら、自分を生かすチームワークが存在する。それは簡単に作り出せるようなものではなく、あれだけのタレントが一つのチームに集まったこと、誰も文句を言えないようなカリスマ性を持つギド・ブッフバルトという監督がいたこと、それら全てが、奇跡的な合致を見たものが当時のチームだったのかもしれない。もちろん、ピッチ上でそういった危うさをカバーしていた存在の最たるものが啓太だったのだが。

啓太は「自分だからやれることとして、戻りたいと思います。僕が行くことによって、浦和レッズというチームがプラスになる、そういう仕事をしたいと思うので、そこまでしっかり勉強して実力をつけたいなと思います。僕にしかできないことをやりたい」と、将来的にまた"浦和の男"として戻ってくる願望を話した。

だからこそ、浦和も啓太が戻ってくるにふさわしいクラブであって欲しいと願う気持ちは大きい。いつでもピンチを未然に防いだり救ってくれたりしていた啓太にこそ、第2のサッカー人生では良い浦和をもっと良くする存在として帰ってきてほしいし、その日を楽しみに待っていたいと感じる1日だった。
(文中、全て敬称略)


轡田哲朗

1981年10月30日生まれ、埼玉県出身。浦和生まれの浦和育ちでイタリア在住経験も。9つの国から11人を寄せ集め、公用語がないチームで臨んだ草サッカーのピッチで「サッカーに国境はない」と身をもって体験したことも。出版社勤務の後フリーに。

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